会社の概念はうすれ、世界とつながる

世界は企業や個人の区別無くネットで繋がれ、特に若者は会社という概念がうすれ、ネット社会の住人となり、会社への依存度はありません。
あっても給料が多い、休日が多いだけです。
21世紀のネットの世界には上下関係はなく、企業、個人の別無く、皆がつながり関係性が限りなく続いて行きます。しかも、以前の人脈とは違っています。以前の人脈が広い方でもモノの販売には苦慮します。そのモノが発売されるたびに多くの消費者はネットで同じ様なモノで、より良いモノ、より安いモノを検索し出し、徹底的に調べられます。同じもので値段の比較など、あっという間に行えます。
消費者は検索という武器を持っています。

何も動かない、動かさない、動けない、掛け声ばかりの世界です。

何も動かない、動かさない、動けない、掛け声ばかりの世界です。

パソコンは道具である。 素人が良いカナヅチやカンナを手に入れたからって 良い家は建たないのです。

グラフィックデザインとDTPは全く別のものです。最近、自称デザイン専門家の方達が自分のデザインに酔いしれている状態です。パソコンとソフトが有ればかなりのものを作成できるからです。
しかし、パソコンは道具であってそれ以外の何ものでもないのです。全てのデザインフォーマットの展開には色彩学、心理学、また、最も大切なのは消費者がどのような価値感を持っているか、その推移を推し量ること、など専門的なものに照らし合わせた作業が必要であり、もっと重要なのが創作する気持ちであり、アイディアなのです。現在ではパソコンのソフトの言いなりです。デザインをしているのではなく、パソコンに使われているのです。
一本の線にも意味があり、タイトルの大きさにも意味があるのですが・・・、今ではアリとあらゆる感じのものをプリンターで出して、どれが良いか最後はクライアント(素人)に決めてもらってるのです。これだったらプロのデザイナーは必要有りません。多分、自分が何をしているかさえ分からないのでしょう。のこぎりとカナヅチがあれば家が立つ訳がないのです。

目線をご存知でしょうか?

一枚のチラシを見るにもポスターでも、必ず見ている人の目を誘導するラインの事です。
上から入った目線、下から入った目線、右から入った目線、左から入った目線など多くの入り方のある目線をどのように誘導しますか?
肝心な箇所を消費者に見てもらっていますか?
その為に文字や写真、イラスト等の配置があるのです。
目立つのはカッコよければ良いという人、大きな文字であれば良いなどという人、がいれば失格です。それならば、より大きま隣のポスターの文字へ目移りするだけです。
一つの絵画にも良い絵は目線を考え、見る人の目線を掴んだら離しません。
なぜでしょうか?
それは感情を込めるからです。
パソコンの全色は現在256×256×256=16,777,216種類 しかでません。
画家はそれ以上の色彩を操れるからです。

あなたはテレビで見た広告宣伝を30分覚えてられますか?

殆どの方は先ず、無理でしょう!
なぜかって?
情報量が多いからです。
広告が溢れているこの時代。情報量は10年前の500倍になりました。
また、宣伝をしている有名な商品だから良い商品はあてはまりません。
まして、覚えてもらっても、購買行動には進みません。覚えた情報を知人や友達に知らせ、パソコンやスマホで検索が始まるのです。
・似たものは無いか。
・企業情報に嘘は無いか。
・一番安く販売している所は何処か。
・そして、知人や友達に購入した人を探し、使い勝手を聞きます。
・しかし、答えが出ても購買までには至りません。
・自分の生活にとって必要あるかどうかジックリ検討します。

そして、答えが出ても、その記憶は自分の脳とは別のパソコン及びスマホの外部記憶装置に覚えさせておくのです。

もし、本当に欲しいものが有れば、見つかれば、その場で購入するでしょう。お金が消費者から出てゆく瞬間です。広告宣伝では動かされないのです。

惰性や好き嫌いで作っていませんか?

今のテレビ番組を見ていると、惰性で作っていると思えてなりません。どのチャンネルに合わせてみても、グルメ、街歩き、旅行などどれもこれも同じではないですか?
また、作成者がクライアントの好き嫌いで作成していると感じられる番組でいっぱいです。
消費者は馬鹿ではありません。
直ぐに見分けが付きます。
消費者の心はとっくに離れています。改めたほうが良いのでは無いでしょうか。そもそもテレビ見ないのです。

変化に対応できる。

少し辛口の意見になってしまいました。しかし、この成熟社会を過ぎ、変化の激しい移り変わりの激しい時代に多くの消費者は一人ひとりが思い思いの生活志向があります。
企業は本気になって考えなければならないのです。誰でもスーツの袖を前に付けたり、ズボンの長さが左右違っていたりすれば、全ての人が気づくはずです。
間違った広告宣伝はその様なものなのです。
もう、広告宣伝などと呼ばないほうが良いかもしれません。将来的にはムダになるような感じです。
兎に角、市場の変化に対応することが生き残る最良の方法です。
また、働いていて楽しいと感じる職場でなければ・・・そのような環境から生み出された商品でなければ消費者には支持されないでしょう。
いま、広告もテレビ番組も料理も自動車も、何もかもが標準は上がりましたが、デザインは似たりよったり、中身も同じ、まるで規格統一された世界に住んでいるようです。
今の日本はどうなってしまったのでしょうか?
面白くもなんともない世界です。こんな「じじい」が言うほどですから、ひどい世の中です。
何も動かない、動かさない、動けない、掛け声ばかりの世界です。

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