社会人第一歩から自由にやりたかったため、企業への就職は無し。
1975年10月・デザイン事務所福井市にて創業。
1986年03月・色彩戦略システム発表。
1986年12月・マルチメディアの開発基本構想の完成。
1987年07月・コンピュータによるマルチメディア開発の試み。
1988年06月・映像部設置。主にコンピュータグラフィックスを専門とする。
1988年10月・法人化して有限会社モナパブリシティとする。
コンピュータによるD.T.Pシステム完成。
1989年11月・情報戦略システム発表。
1989年12月・「個人情報社会における生活者参加型のメディアづくり」を発表。
1990年10月・本格的にマルチメディアの開発に着手する。
1991年05月・動画(ビデオ等)のデジタル化の完成。
最初のマルチメディア作品が完成。名称シネマシステムとする。
シネマシステムトラベルツァー編完成。
シネマシステム博物館編完成。
1991年07月・シネマシステム不動産案内編完成。
シネマシステム自動車販売編完成。
1991年09月・シネマシステム各国語対応観光案内編完成。
1992年01月・シネマシステム着物コーディネイト編完成。
1992年02月・シネマシステム選挙用マルチメディアが完成。
名称を「チャレンジャーシステム」とする。
1992年03月・着物柄プリント用版下作成システム組み立て完成。
1992年04月・シネマシステム学習編 完成。
シネマシステム各国語対応組み立てマニュアル完成。
1992年06月・シネマシステム歯科医院用イメージアップ編完成。
1992年07月・求人募集用シネマシステム完成。
1992年10月・防衛庁へ隊員募集のシステム説明。並びに重砲取り扱いのシステム説明。
1993年06月・個人用情報システム編が全国紙「マックパワー」6月号に紹介記事と写真.掲載される。
1995年10月・マルチメディア研究会発足。
警視庁へ交通事故減少システムの説明を行う。
1996年04月・ショーウインドウシステムの発表。電子出版の完成。
1997年05月・マルチメディア研究会をメディア出版と改める。
講談社主催のアート展でCG「黄金のドラゴン」が激励賞。
1999年04月・ワン・ツー・ワンマーケティングとやさしいホームページの作り方発表。
1997年から1999年に作成したシンボルマークやキャラクターデザインなどがグラフィック社刊の書籍に資料として納められる。
1999年05月・講演活動開始。各地で現在の成熟社会の現状においてのホームページの作り方などの講演を始める。
2000年09月・ボランティア「勇気をあげたい」を始める。
2001年 ・iモード携帯電話の効率的な活用をインターネットとともに実践。
下記はmedia51のホームページが紹介された雑誌です。
☆ソフトバンク社発行「iモードサイト5000」に」掲載。
☆ 毎日コミュニケーションズ発行の総合情報誌「iモードファン」5月18日号に掲載。
☆KKベストセラーズ刊「IモードBEST vol.2」に掲載。
☆「iモード情報サイト2000 冬号」2001年12月5日発行に掲載。
☆ グラフィック関係ではクリエイターズ情報マガジン「エポカ」に「悪魔のように細心の注意を払い、天使のように大胆に」が今週の格言として、また記事が掲載される。
2001年05月・第55回愛鳥週間「全国野鳥保護のつどい」の記念誌「鳥たちの四季」のデザインを担当する。
2001年08月・北陸郵政局に切手の原画にするため「スイセン」「越前海岸とスイセン」の2種のデザインを以来される(2001年11月3日全国発売。ふるさと切手販売で過去最高販売数を記録)
2002年01月・JT(日本たばこ)のカレンダーを作成。
2004年10月・2000年から2003年に作成したシンボルマークやキャラクターデザインなどがグラフィック社刊の書籍に資料として納められる。
2006年02月・株式会社アガトスなどと大豆肉の販売を計画実行。株式会社アガトス副社長に就任。
2008年06月・NPO法人カラー応用支援協会設立。
・色彩の心理的応用を経済的、文化的、スポーツ的、ファッション的など様々な観点から、用途に応じ企業や団体などに講演や支援を行っています。
・第一回目講演 鹿児島市役所の依頼で繊維関係、ファッション関係、建築関係の企業向。
・講演と相談指導 演目:美人を作る色彩は企業の戦略に不可欠。
・全国季刊誌「トリニティ」における色彩応用によるダイエットの監修。2008.Vol8
2012年04月・東京新宿 京王プラザホテルにおいて
・18日は発明記念日であり、大衆のノーベル賞と言われている「東久邇宮記念賞」を受賞。
2012年10月・一般社団法人 日本自動販売機利活用社会貢献事業機構副理事長に就任。
2012年11月・東京新宿 京王プラザホテルにおいて
・3日は文化の日であり、「東久邇宮文化褒賞」を受賞。
2013年03月・欝病解決のため、一般社団法人 グレース・ヒール・ユアハート協会を米国の専門家と立ち上げ、活動推進中。
2014年06月・酸化した身体を還元する色彩を特許申請。
2014年11月・特定非営利活動法人 日本噛合わせ普及促進協会を立ち上げ。
2014年11月・特定非営利活動法人 日本ORP測定検証協会を立ち上げ。
2015年01月・一般社団法人 日本知的資産業際開発懇談機構を方針が合わないため辞任。
2015年04月・特定非営利活動法人 日本著作権登録申請普及協会を立ち上げ。
2016年05月・酸化した身体を還元する色彩の事で活動を始める。
2016年06月・陽イオン吸収装置の事で岐阜の研究所の許可を得て、製作を始めるため活動する。
2016年07月・陽イオン吸収装置の設計図を書き上げる。
2016年08月・災害避難用ミラクルおそうじパウダーの企画販売、このためにストローで作る噴霧器を考える。
2017年04月・遠赤を利用した焼却炉を発見。販売会社の遠赤エナジー社と販売契約を結ぶ。
2018年11月・磁気熱分解装置を発見。以後、遠赤は手を離し、磁気熱分解装置に傾注。
2018年11月・もみ殻微粉末と出会う。
2018年12月・遠赤エナジー社と磁気熱分解装置の見学会を開く。
2019年02月・遠赤エナジー社と提携する。磁気熱分解装置の販売に乗り出す。
2019年04月・もみ殻微粉末の販売卸を始める。
2020年03月・遠赤エナジー社との提携を全面的に解約する。新コロナが世界中に蔓延する。
2020年05月・磁気熱分解装置販売代理店が神奈川県藤野に1台設置し、ショールームとする。
2020年07月・磁気熱分解装置の排煙処理で水潜り装置の開発に着手。
2020年08月・陽イオン吸収装置の設計図を書き上げ、実際に作成する。
2020年10月・陽イオン吸収装置の完成。
2020年10月・磁気熱分解装置の見学で泉大津市市長藤野へ来場。
2020年11月・磁気熱分解装置の排煙処理の水潜り装置の完成。設計図を書き上げる。後は吸引モーターおよび送風モーターのいずれかを採用。
2020年12月・かねてより東京都庁へ申請していたNPO法人 環境と未病対策研究会が認証される。
2021年01月・帰省した福井で大雪に見舞われる積雪103cm。
管理人を取り巻く人達への思い
私はさほど友人の数が多い訳ではなく沢山の友人が欲しいと思ったこともない。
私の仕事に接する流儀は働く一人ひとりがシッカリした目的を持って楽しく好きな仕事をして、収入を得ることにある。
私の今の環境がそうである。むやみにこの仕事は絶対に成功させなければならないとは考えないことにしている。
また、一緒に仕事をする事になる人は真っ先に自分のしている仕事が好きで、人のためになるような仕事がしたくてコンビを組みたいと言うのか、または、エゴむき出しで何でもいい兎に角お金儲けをしたくて、自分はあまり動かず他人が動くことを当てにしてコンビを組みたいために来たのか?
様々な理由があるが、第一は目的がシッカリしている事である。良いか悪いかは付き合って見なくてはならず、何事も3年はお付き合いをし、その後、付き合っていくかどうかを考えるようにしている。良い人も悪い人も一生懸命やれば良いのであって、だらだらして人を当てにしている人間ほどいい加減なものはない。
勿論、自然のためにならない仕事、自然を破壊する仕事はお断りしている。
仕事上幾つかの組織の長になっているが職務上のためであり、自慢するためではない。肩書なんぞは世界に、いや宇宙に出れば何の役にもたたないであろうし、肩書を見て寄ってくる人が居るとすれば一緒に仕事はしないであろう。
一人ひとり考えも行動も思いも違って当然である。違っていなければ気味の悪い世の中であり、進歩も革新も何も無いであろう。
何でもそうであるが、一人ひとり自分の限界まで一生懸命にとことんギリギリまでやったかどうかである。それによって次への段階が違ってくるはずである。やっていなければ、人生また、同じようなことの繰り返しが続くはずである。思い当たる方は結構居るはずである。
兎に角、この世は2元性で出来上がっており、プラス・マイナス、陰陽どちらでも良いが分かれている。しかし、どちらかが少し多くなったりぶつかったりして、そのゆらぎで電化製品が動いたり、赤ちゃんができたりするのである。
プラス・マイナス、陽・陰とも真反対であるが、それぞれの役割があって、どちらも欠かすことの出来ないものである。もし、どちらかがなくなれば、相反する片方もなくなるのです。どちらも役目があるはずである。